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新潟地方裁判所 昭和44年(わ)323号 判決

主文

被告人は無罪

理由

(公訴事実および罰条)

一、本件公訴事実は、次のとおりである。

被告人は、航空自衛隊第四六警戒群通信電子隊に所属する三等空曹であるが、同群所属の自衛隊員に対し、同群で実施している特別警備訓練を拒否させる目的をもつて、

(一)  昭和四四年一〇月五日新潟県佐渡郡金井町大字新保丙二ノ二七番地に所在する同自衛隊佐渡分とん基地内において、同月一日付の「アンチ安保」第二号と題し、その内容に「良識ある自衛隊員諸君」と呼びかけたうえ、「まさに今の自衛隊はブルジョァジーと一体になつた、ブルジョアジーの意のままに動くブルジョア階級のロボット・使用人・奴隷ではないか。軍隊とは何か。軍人とは何か。自己批判せよ。(中略)勇気ある自衛隊プロレタリアート諸君。現実を直視せよ。そして立て、ブルジョア階級政府・死の商人打倒のために真の平和国家建設のために。」「人民の正当なる権利の主張を侵害するデモ鎮圧訓練・治安訓練を拒否せよ。」などと記載した文書各一枚を前記隊内掲示板三か所にそれぞれ貼付掲示して、自衛隊員小沢貞夫らに閲覧させ、

(二)  同月九日前記金井町大字千種丙二九六番地笠井栄吉方板壁ほか二四カ所に、「治安訓練拒否」と記載した、自衛隊員に特別警備訓練を拒否するよう呼びかけたビラ合計二七枚を貼付掲示して、自衛隊員土生勇雄らに閲覧させ、

(三)  同月一一日前記分とん基地隊舎内廊下、体育館等に「治安訓練拒否」と記載した前同様のビラ合計五六枚を貼付掲示して、自衛隊員大友定信らに閲覧させ、

(四)  同月一八日前記分とん基地内において、同月一五日付「アンチ安保」第三号と題し、その内容に「我々の敵は誰か、我々の友は誰か」「何故我々は治安訓練を拒否する必要があるのか、いや何故我々は拒否せねばならないのか。」と書き出し、さらに、「何故彼らはデモるのか?何故デモらなければならないのか。(中略)何故我々自衛官が彼らを鎮圧するのだ。我々は自衛隊入隊以前は、いや今でも下層貧困階級・勤労人民階級として搾取され抑圧されているのではないか。我々の生活を人間としての生きる権利を勝ち取るために戦つている彼らを何故鎮圧する必要があるのだ。(中略)友よデモ隊は我々の敵ではない。我々の敵はブルジョア政府・帝国主義社会体制だ。(中略)命令なら人を殺してもいいのか、命令なら何をしてもいいのか。いつたい我々は何んだ。犬かロボットか機械か?極東軍事裁判においては上官の命令により捕虜を殺した軍人は処刑された。すなわち何よりも必要なのは良心なのである。何よりも重要なのは『自分は個人はどうするのか』ということなのである。(中略)誰がブルジョア政府の指図で動くのか。俺達が死ぬことを俺達がきめて何故いけないのだ。勝ちとれ、自衛隊に自由を。(中略)十月十日、遂に我々待望の全自衛隊革命的共産主義者同盟―赤軍―が結成された。この赤軍は革命の政治的任務を遂行するための武装集団である。すなわち赤軍は帝国主義日本政府の戦争政策を未然に防止するだけでなく、大衆に宣伝し、大衆を組織し、大衆を武装し、大衆を助けて革命政権を樹立することを任務とし、広範な人民大衆の利益のために全世界人民の利益のために戦うことを目的としている。」などと記載した文書各一枚を前記隊舎内食堂入口扉ほか三か所にそれぞれ貼付掲示して、自衛隊員小端鉄彰らに閲覧させ、

(五)  同月二〇日前記隊舎車庫内に駐車していた隊員送迎用の官用バスの座席に前記「アンチ安保」第三号と題する文書合計九枚をそれぞれ差し込み、翌二一日朝隊員出迎えのため同バスを運行させて右文書を同バスに乗車した自衛隊員土生勇雄らに閲覧させ

もつて前記警戒群所属の多数の自衛隊員に対し特別警備訓練を拒否するよう怠業の遂行をせん動したものである。

二、なお検察官は、予備的訴因として、右公訴事実末尾の部分にある「怠業」を、「政府の活動能率を低下させる怠業的行為」と読み替えた訴因を主張した。

三、検察官は、右本位的訴因および予備的訴因とも、自衛隊法六四条、一一九条一項三号、二項後段に該当するものと主張した。

(公訴事実に対する裁判所の判断)

一関係証拠によれば、被告人が、第四六警戒群通信電子隊に所属する三等空曹であつたこと、検察官が公訴事実(一)で主張するように、「アンチ安保」第二号三枚が佐渡分とん基地に貼付掲示され、同基地に勤務する多数の自衛隊員がこれを閲覧したこと、検察官が公訴事実(二)で主張するように、佐渡郡金井町大字千種にある笠井栄吉方の板壁ほか二四か所に「治安訓練拒否」と記載したビラ二七枚が貼付掲示され、相当数の自衛隊員がこれを閲覧し、または閲覧しうる状態に置かれたこと、検察官が公訴事実(三)で主張するように、佐渡分とん基地内に同種のビラ約五〇枚が貼付掲示され、多数の自衛隊員がこれを閲覧したこと、検察官が公訴事実(四)で主張するように、被告人が佐渡分とん基地内で「アンチ安保」第三号三枚を貼付掲示し、相当数の自衛隊員がこれを閲覧したこと、検察官が公訴事実(五)で主張するように、昭和四四年一〇月二一日朝官用バスの座席に「アンチ安保」第三号九枚がさし込まれていたこと、などの事実が認められる。

ところで、公訴事実(四)以外は、被告人がこれら文書を貼付掲示する現場を他人から目撃されなかつた。また被告人、弁護人は、公判廷では、これら文書を貼付掲示などしたのは被告人であることを、明示的には認めていない。そこで、果してこれらの行為をした者が被告人であるか否かが一応問題となる。しかしながら、本件捜査が始まつた後に、佐渡分とん基地内の被告人の属する内務班の被告人専用のロッカー内や、金井町所在の被告人の下宿の部屋から、本件と同種または類似の文書多数が発見押収されたこと、被告人が、公訴事実(一)の「アンチ安保」第二号を自分が作成したことを前提として、証人浜峻に発問をしていること(記録三九〇三丁裏)、当時佐渡分とん基地には被告人以外の者で本件のような文書を作成、貼付、掲示などする人物は恐らくいなかつたと思われること、などの理由から、本件文書は、被告人がこれを作成・貼付、掲示などしたものと推認する。

二検察官は、被告人の右の行為は、当時第四六警戒群で実施していた特別警備訓練を拒否するよう怠業(または政府の活動能率を低下させる怠業的行為)の遂行をせん動したものであると主張する。これに対し、被告人、弁護人は、当時同警戒群で行なわれていたのは、特別警備訓練と称していたが、実は治安出動訓練であつた、そして、それは国民の集会等の侵害し、正当なデモを鎮圧することを目的とする治安出動の訓練であつたから、被告人はこれを拒否するよう自衛隊員に呼びかけたのであつて、被告人の行為は正当な行為である、と主張する。

三先ず、この問題の内容の検討に入る前に、被告人を処罰するには、被告人が拒否を呼びかけた訓練が特定できさえすれば、それで十分であつて、その訓練の内容が特別警備の訓練であろうと、治安出動の訓練であろうと、どちらでもよいではないか、という考え方もありうると思われるので、検討する。

確かに、当時第四六警戒群で、特別警備訓練と称する一つの訓練が行なわれていたこと、そして、この訓練のほかには、これに類似する他の訓練が行なわれていなかつたことは、争いがない。従つて、それだけで、訓練は特定しており、その訓練が治安出動の訓練なのか否かをせんさくする必要はない、という見解もありえよう。

しかし、本件では、被告人、弁護人から、治安出動は国民の権利を侵害する違法なものであり、従つてその訓練を拒否するよう呼びかけたのは、正当な行為である、という主張がある。そういう主張があれば、裁判所としては、これについて判断しなければならない。ところが、特別警備訓練と称して実施された訓練が、治安出動の訓練なのか、そうではないのかが明らかにならなければ、被告人の行為が正当行為であるか否かの判断ができないことになつてしまう。

また、本件で被告人が隊員に拒否を呼びかけた際に用いた言葉は、「治安訓練」であつて、治安出動の訓練とは表現の上でやや似た点がある。これに対して、検察官は、被告人が用いた「治安訓練」という言葉は特別警備訓練を指すと主張するのであるが、「治安訓練」という言葉と「特別警備訓練」という言葉との間には、ほとんど類似点がない。このように、表現の上で似てもいない用語が、同一のものを指すという検察官の主張の当否を判断するためにも、特別警備訓練と称する訓練の意味内容が一義的に明確になつていなければならない。

四そこで、問題の特別警備あるいは特別警備訓練とは何かを検討する。

(一)  検察官は、当時第四六警戒群で行なわれていた「特別警備訓練」とは、多数の者の集団による佐渡分とん基地への不法侵入を阻止排除するための訓練である、そして、そこでいう「特別警備」とは、平常、警衛隊によつて行なわれている通常警備に対比されるもので、多数の者の集団による基地不法侵入などの事犯が発生し、警衛隊のみでは防ぐことが困難な場合、一般隊員もまた基地警備に当らなければならないときの警備を指す、と主張する。

(二)  航空自衛隊の特別警備に関する見解は、検察官の主張とほぼ同じである。すなわち航空幕僚長の昭和四八年一一月八日付当裁判所あて回答(記録四二一二丁)によれば、昭和四四年六月二四日付で航空幕僚長が発した「特別警備実施基準について」と題する通達の中で用いられている特別警備とは、基地等に所在する部隊等に対し、防衛出動又は治安出動が命ぜられていない場合において、多数集合の相手方又は少数せん鋭な相手方による基地等への不法な侵(潜)入及びこれに伴う不法行為(そのおそれのあるときを含む。)に対する基地警備を指す、と述べている。

(三)  昭和四四年一〇月被告人の本件行為当時、第四六警戒群司令兼佐渡分とん基地司令であつた証人浜峻は、右通達と同趣旨の証言を行ない、次のように述べる。

特別警備は平常時の基地の警備に属するものであつて、平常時以外の場合、すなわち有事の場合(防衛出動時および治安出動時)の基地防衛とは明らかに異なる。そして平常時の警備の中には、特別警備のほかに通常警備があるが、通常警備とは、警備班員が警衛隊を編成して行なうものである。これに対して、特別警備は、多数集合して基地に侵入し、あるいは少数せん鋭の者が侵入して、暴行脅迫その他の不法行為に出た場合、警衛隊だけでは警備が出来かねるので、一般隊員も加えて、特別警備隊を編成して行なう。そして、通常警備も特別警備も、その両方とも法的根拠は、基地管理権である。

航空自衛隊で、特別警備の必要が感じられ始めたのは、昭和四三年一〇月に一部学生らが防衛庁に突入した事件以後である。そして、昭和四四年に、前述の航空幕僚長通達「特別警備実施基準について」が発せられた。その通達の別冊である「特別警備実施基準」によると、基地に所在する全隊員の約六分の一で特別警備隊を編成することとし、特別警備の手段としては、木銃の使用のほか、放水、催涙ガスの使用等が考えられていたが、武器防護等の場合には、重火器の使用も許される、と定められていた。

証人浜峻の証言に従えば、航空自衛隊が考えた特別警備は以上のとおりである。

(四)  次に、第四六警戒群で昭和四四年一〇月当時実施された特別警備訓練の内容を検討する。証人浜峻、西元陸朗、占部努の各証言および押収してある「特別警備練成訓練実施に関する第四六警戒群一般命令」(昭和四七年押第三九号、符号三〇)によれば、同警戒群で実施された特別警備訓練は、右に述べた航空幕僚長の「特別警備実施基準について」と題する通達に基づいて計画が作成されたものであつて、その訓練の内容は、五〇人ないし一〇〇人の侵入者に対処できること、ならびに、不法侵入者が火災びんやラムネ弾を用いる程度のことを想定し、その阻止排除の手段として、徒手、木銃又は拒馬の使用を考えたが、実施基準にある放水や催涙ガスの使用は、その器具がないので、考えなかつた、等の事実が認められる。

(五) これらの証拠によれば、特別警備とは、検察官のいう、多数の者の集団による基地への不法侵入だけでなく、少数せん鋭な者の基地への不法侵入にも対処するものである点で、検察官の主張よりはやや広い。しかし、それにしても、それは、防衛出動や治安出動が命ぜられていないときに、基地へ不法侵入した者に対する阻止排除等の行動であり、とくに第四六警戒群で行なわれた特別警備訓練は、せいぜい百人程度の者が、火炎びん、ラムネ弾程度のものを携えて侵入する場合のことを想定して行なわれたものであることが認められる。これに対比される治安出動とは、自衛隊法によれば、間接侵略その他の緊急事態に際して、一般の警察力をもつては、治安を維持することができないと認められる場合(自衛隊法七八条一項)、または都道府県知事が治安維持上重大な事態につきやむを得ない必要があると認める場合(同法八一条一項)に、部隊等が基地の外へ出動する場合であるから、少なくとも、第四六警戒群で行なわれた特別警備訓練は、治安出動の訓練とは明らかに異なるもののように思われるのである。

五(一) しかしながら、航空幕僚長の通達が定めた特別警備の手段の中には、前述のとおり放水や催涙ガスの使用なども含まれており、これらは治安出動命令の下で自衛隊が行動する場合にも用いられうる手段であつて、両者に共通した面があることは否定できない。また証人浜峻は、治安出動の下でも、暴動などの態様が重大でない場合には、特別警備と同じ程度の対処方法で足りることもありうると述べている。このように考えると、特別警備と治安出動下の行動との間に、また、特別警備訓練と治安出動の訓練との間には、その行動の態様や手段につき、なにがしかの共通点があることは否定できない。

(二) さらに、弁護人は、特別警備ということばは、検察官の主張とは全く異なつた意味に用いられていたと主張し、押収にかかる「教程、航空自衛隊新隊員課程」(昭和四七年押第三九号、符号三四および三五)の取調を求めた。この教程の三九二頁ないし三九九頁によれば、特別警備とは、暴動、威力侵入などの非常時における基地の警備であり、その場合の武器使用上の着意事項としては、治安出動命令の下で武器を使用する場合に関する自衛隊法九〇条の規定や、警察官職務執行法七条を準用している自衛隊法八九条二項の規定等が挙げられている。すなわち、この教程では、特別警備とは、治安出動命令の下での警備として説明されているのである。この教程は、山口県防府市にある航空自衛隊第一航空教育隊および埼玉県熊谷市にある同第二航空教育隊で、航空自衛隊で新たに採用した隊員を教育する際の教科書として、昭和四二年以来用いられて来たものである。そうであるからには、多数の航空自衛隊員がこの教科書に基づいて教育を受けて来たことは、当然であろう。そうすると、少なくとも航空自衛隊の一部では、特別警備という言葉を、治安出動命令が下令された状況での警備として用いて来たことは否定できない。

(三) 検察官は、この問題につき釈明し、右教程の内容は、第一航空教育隊と第二航空教育隊の教官だけが協議して定めたに過ぎないものであつて、航空幕僚監部が監修したものでなく、航空幕僚長が認可したものでもない、そして、この教程は、基地の警備の責任者でない、新任の二等空士に対する教育用に作られたものであつて、幕僚監部が軽い気持で監修しなかつたものであるから、その内容はかなり不正確な点がある、そのうえ、航空幕僚監部で特別警備という言葉を用い始めたのは、昭和四四年六月二四日に前述の「特別警備実施基準について」と題する通達が出されたときである、従つて、右通達にいう特別警備という用語は、それ以前の昭和四二年一二月に編集された新隊員用の教程の中で用いられている特別警備という用語とは、関連性がほとんどない、と主張する。

(四) しかしながら、自衛隊は、外敵に対してわが国を防衛することを主な任務とする組織であるから、他のどのような組織よりも、指揮命令関係が明確で、全部隊が一糸乱れない統制のもとに行動するのでなければ、その任務を達成することはできない。そのような自衛隊の中で、特別警備という、かなり重要な用語につき、まちまちな理解がなされて来たとは、普通考えられないことのように思われる。

ことに、右の新隊員用の教程は、航空幕僚監部が監修しなかつたにせよ、幕僚監部は、その存在と内容、ことに、その中で特別警備という用語が用いられていることを知つていたはずである。そうであるならば、昭和四四年六月に、航空幕僚長が特別警備実施基準について通達を発する際に、それまで新隊員教育用の教程で用いられて来た特別警備という用語を、廃止ないし改正する配慮があつてしかるべきであつたと思われる。

このようないろいろの問題点を考えると、特別警備と治安出動下の警備、また特別警備訓練と治安出動の訓練とは、同じものであるかも知れないし、そうでないとしても、かなり類似し、紛らわしいものではないか、一部重なる点があるのではないか、という疑問を試い去ることができない。

そこで、右の疑問を拭い去るためには、特別警備実施基準に関する幕僚長通達が、公判廷に顕出されることが、必要不可欠であると思われるのである。

六(一) そこで、当裁判所は、「特別警備実施基準について」と題する航空幕僚長の通達が重要な証拠であると認め、航空幕僚長に右通達および別冊ならびに解説につき、提出命令を発した。とこるが、航空幕僚長は、右通達およびその別冊ならびに解説は、いずれも秘文書の指定がしてあり、これを公開するときは、れい下の各部隊の特別警備の実施に重大な支障が生じ、ひいては国の重大な利益を害するという理由で、刑事訴訟法一〇三条にのつとり、提出命令に応じなかつた。そこで、当裁判所が、航空幕僚長の監督官庁である防衛庁長官に提出命令に応ずることの承諾を求めたところ、当該文書を公開すると、今後の自衛隊の基地の警備実施に当つて、重大な支障が生じ、航空自衛隊の任務達成に多大の障害を与え、ひいては国の重大な利益を害するという理由で、防衛庁長官は右文書の提出につき、承諾を与えなかつた。

(二) そこで、この問題をどう解決するかであるが、この点に関連して、検察官は、航空幕僚長通達が、これを公開すると国の重大な利益を害するおそれがあるという理由で、防衛庁当局から提出されない以上、裁判所が右通達の取調をすることができないのはやむをえないところである、仮に右通達の取調が事案の真相を発見するために必要であるとしても、右の通達に替えて、検察官は通達の起案者である岩本展一を証人として取調を求める、右証人は通達の内容について証言をする用意があると主張した。そして、右通達が提出されないため、真実の究明ができないことを理由として、当裁判所が証拠調の打切りを宣したのは違法であるとして、かような理由で、検察官の立証を尽くさせず、審理を打ち切るのは、当事者主義を基調とする刑事訴訟法の原則にもとり、許されない、と主張する。

(三) これに対し、被告人、弁護人は、わが国は憲法によつて戦力を放棄したのであるから、自衛隊は違憲の存在であり、自衛隊につき秘匿を要する秘密は存在しないし、そもそもわが国には防衛上の秘密は存在しない、従つて航空幕僚長が右通達の提出命令に応じないこと、および防衛庁長官が右通達の提出につき承諾を与えないことは、いずれもその権限の乱用であつて許されない、本件通達は公訴事実の存否に関する重要な証拠であつて、国がかかる証拠の提出を拒みながら、他方で被告人の処罰を求めることは、法の適正な手続を保障した日本国憲法三一条に違反する、ことに本件では公判に立会つている検察官が、訴訟準備の際本通達を閲読しているにもかかわらず、国側の当事者が利用した資料を弁護人に利用させないのは著しく公正に反する、などと主張する。

(四) そこで、両当事者の主張の当否を検討する。

本問題の類似の先例としては、大阪国税局堺税務署勤務の大蔵事務官が、職務上の秘密文書である所得標準表等を部外者に貸与したとして、国家公務員法の秘密を漏らした罪で起訴された、いわゆる徴税虎の巻事件がある。この事件で、検察官は、問題の所得標準率表等を証拠物として裁判所に提出したが、その表の大部分に黒い紙が貼りつけてあつて、これを見ても、内容が判別し得ない状態にあつた。検察官は、その証拠物の取調ではわからない部分を、国税庁所得税課長、元大阪国税局長等、表の作成に関与した人達を証人として取り調べることによつて明らかにできる、と主張した。これに対し、第一次第一審である大阪地方裁判所は、検察官提出の証拠物を取調べてみたが、その内容を明らかにすることはできなかつた、そして検察官申請の証人を取り調べても、所得標準率表の内容が明らかになる見込はないという理由で、証人の取調請求をすべて却下し、被告人に無罪を言渡した(大阪地方裁判所昭和三五年四月六日判決、判例時報二二三号七〇四七頁)。これに対し、検察官から控訴があり、その第一次控訴審である大阪高等裁判所昭和三七年四月二四日判決(下刑集四巻三、四合併号二〇五頁)は、右の文書は、年率の数字の部分は殆ど黒い紙が貼付してあつて、見ることができないが、その他の記載内容の大綱は認識することができる、国家公務員法上の秘密であるか否かを判断するには、右文書記載の数字自体はそれほど重要性をもつものではなく、文書作成の経過、方法、数字の算出方法、使用目的、実際の適用方法等を明らかにすればよい、従つて比率の数字の部分を明らかにすることができないという理由で、検察官申請の証人の取調請求までも却下し、審理を終結して無罪を言渡したのは、刑事訴訟法の当事者主義のたてまえから許されない、と判断した。この事件の第二次控訴審である大阪高等裁判所昭和四八年一〇月一一日判決(判例時報七二八号一九頁)も、これと同じ見解に立つものと思われる。

(五) この大阪高等裁判所の見解は正当なものであると思われる。ところで、この徴税虎の巻事件と本件とが相違する第一点は、徴税虎の巻事件では、ともかくも原本である証拠物それ自体が法廷に提出され、その記載によつて、数字はともかく、所得標準率表の記載の大綱は明らかになつたのに対し、本件では問題の通達が全く提出されていない。第二に、徴税虎の巻事件では、所得標準率表の記載内容のうち、数字は必ずしも有罪無罪の決め手として重要なものでなく、その文書の作成経過や数字の算出方法等が重要であつた。これに対し、本件では、通達の記載内容そのものが、特別警備と治安出動下の警備との間に同一性が有るか無いかの判断の決め手となるのであるから、通達の記載内容自体が明らかにされる必要がある。従つて、徴税虎の巻事件の判例を本件にそのまま適用することはできないし、むしろ右判例によつても、本件では、航空幕僚長通達の内容が明らかにされない限り、被告人に有罪を宣告しえないという結論が支持されることとなるであろう。

七検察官は、航空幕僚長通達に替えて、右通達の起案者である岩本展一を証人として申請し、右通達を起案した経緯および右通達の内容を立証すると主張した。検察官が右証人の取調を請求したのは、当裁判所が、本件通達が提出されないため、有罪判決に至る可能性がないとして、証拠調の打切りを宣言した後である。その取調請求の時期が遅過ぎるのではないかという点は、さて置くことにしよう。それにしても、検察官の釈明によると、右証人の証言においても、通達の内容の一部は公表できない、しかし通達の内容の大部分は明らかになるのではないかと思われる、というのである。

確かに、検察官申請の岩本展一を証人として取調べて見れば、通達の内容の大部分が明らがになるかも知れない。しかし、同証人が供述を拒否するであろう一部分の中に、特別警備と治安出動との関連性に関する事項が含まれているかも知れないのである。このように考えると、通達の記載の一部が明らかにならないままで、被告人に有罪を宣告することは、本件がことに言論の自由にかかわる事案であるだけに、裁判所としては、ちゆうちよせざるを得ないこととなるであろう。してみると、たとえ岩本展一を証人として取調べてみても、結局被告人に有罪を宣告しえないのであれば、同人を取調べる必要はない。

八よつて、本件は、検察官請求の残りの証人を取調べるまでもなく、公訴事実の証明が十分でないから、刑事訴訟法三三六条にのつとり、被告人に対して、無罪の言渡をする。

(藤野豊 渡辺達夫 須田贒)

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